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大阪の石井行政書士事務所、代表者プロフィール

代表者プロフィールprofile

代表者プロフィール

略歴書

同志社大学文学部社会学科(主に東洋思想(仏教)を学んでました)卒業、雑誌ライター、家業の小売業を経て、配管資材製造会社の取締役から代表取締役に就任、マネジメント(資金繰り)を学ぶ。20年あまり自治会会長を務め、現在は会社代表取締役を務めるかたわら、行政書士、不動産会社経営、民生児童委員、社会福祉法人(障害者施設)の理事を務めています。

飼い犬も雌で、わが家は女性ばかり

平成17年6月20日、外では無敵、家では年中、肩身の狭い思いをして生きる「あなたの悩みや迷いに応える、身近な町の法律実務の専門家」に転機が訪れました。

生後二ヶ月のトラ模様の仔猫がわが家に飛び込んできたのです。相当な虐待にあっていたらしく、腸が破裂、瀕死の状態でした。ブランド猫が買えるほどのお金をかけて手術を行い、どうにか一命を取り止めることができました。

この猫(ボス)がオス♂だったこともあってか、それ以来なぜかわが家の♂の立場が急上昇、精神的にも優位に立ってきており、まさに招かれざる猫だったのが至福の猫に化身しました。

可哀相なのは生後すぐのトラウマからか、未だに外には一歩も出れないこと。外に出た途端体が硬直し、金縛りにあってしまいます。

招福猫のボス

甘えたの寂しがり屋さん、家ではいつも人がいるところにいます。猫には珍しく集団生活を好むようで、来客が来たらまっさきに様子伺いにかけていきますし、性格もまるで犬みたいです。

スポーツに勉学に

球技に明け暮れていた日々

中学から高校にかけてはサッカーとラグビーに明け暮れていました。勉強するのは深夜ですから午前中の授業はほとんど居眠りこっくり。それでも入試が迫ってくると四当五落を完遂、スポーツに勉学にと、よく身体が壊れなかったくらいです。

小説家になるぞ!

同志社大学文学部社会学科に入学、社会思想史を学びかたわら、名作と呼ばれる小説を乱読する生活を送り、勢いだけで書いた中編小説「蛇」が徳間書店の小説新人賞の予選を通過、おもわず小説家になるぞ! と叫びました。あとになってわかったことですが、このときの受賞者はあの峰隆一郎さんでした。

食えないライター

田中角栄が絡んだロッキード事件後のオイルショック不況、なんとか四年で卒業はしたものの、就職口はなく(ほんとは小説で飯を食っていきたくて就職などする気はサラサラなかったのですが)、印刷関係の友人から頼まれる商品使用説明書やマニュアルの作成が生活の糧という、売れないフリーのライター(カタカナで書くと少しは格好はいいですが)、年収が同い年の会社員の半分にも届かない程度の、趣味とも言えるほどの食えないライターでした。

両親には迷惑と心配をかけ続けた

生まれてからずっと父母には迷惑と心配をかけ続けました。そのせいでしょうか、父母は60代前半でこの世を去りました。

大正生まれの母親にすれば作家になるなんていうのはもう大変なことで(悪い意味です)、ノイローゼになるだの、結核になるだのとやたら気を揉んでいました。

父母の御恩背負うて遍路道

そんなある日、父が交通事故で瀕死の重傷

そんなある日、父が交通事故で瀕死の重傷というアクシデントがあって家業「石井商店」を継ぐことになり、そして結婚。

父は交通事故の後遺症(高次脳機能障害)で苦しみ、その後10年の間に生後6ヶ月の長男を亡くし、脳梗塞で倒れた母や父や祖母を順に見送りました。

現在は行政書士のかたわら不動産業を営み、夫と二子(二人とも成人していますが、親にしてみればいくつになって子は子)の父親役を演じ、著作業、さらには製造業の代表取締役を兼任しています。

結婚後、きっぱり断筆を宣言

結婚後、きっぱり断筆を宣言、家業に従事するかたわら、書店経営やソフトハウスを共同経営、より経営学を身につけるため製造メーカーの監査役や非常勤取締役として外部の事業体に参画、ビジネスの奥の深さや面白さや怖さを実学として学びました。この間にあのバブル経済を経験、株式投資や不動産投資も積極的にやり、ずいぶんと儲けもしましたが損もしました(笑)

振り返るにいろんな意味でもっとも勉強した時期だったかもしれません。攻めることの面白さ、敗走することの辛さ、すごい経験でしたね。

40歳の峠が見えたとき、猛烈に小説を書きたくなった

子供の受験を期に、自分も遅れてきた挑戦者であることを再確認したくなっていたある日、天啓と言うべきか、猛烈に書きたくなって書いた中編小説「玉手橋」が第八回自由都市文学賞に入賞。

賞状

さらに同年、小説「ツバメの棲む家」「あえいうえおあお」がコスモス文学年間優秀賞と奨励賞、その間、地元自治会長会長を歴任、地元八尾警察の「交番だより」に近場の歴史ものを掲載、他方では商業誌や業界紙、各労組、PTA新聞などに執筆、地元の戦後五十年記念誌「田井中郷土史」では主に歴史を担当、さらに短編集「一時帰休」、長編「ステゴサウルスの骨」、長編「定期券」がそれぞれ北日本文学賞、小説クラブ新人賞、織田作之助賞の予選を通過。老舗の同人誌「関西文学」には「一番館の絵」が掲載され、平成十年には小説「おふくろの味」が実業之日本社刊「週刊小説」に掲載されました。

現在、配管製造会社の代表取締役を務めながら、地区の民生委員・児童委員を務め、さらには生業である行政書士業と不動産業を営んでいます。

なんとしてでも行政書士になるぞ!

未熟な法律知識の故、他人のために連帯保証人となり、自己破産を余儀なくされた友人の無念さを間近にみたことがきっかけで身近な町の頼れる法律家になることを決意、その年の試験を受験、そして合格。開業準備期間を経て翌年の12月に行政書士登録と同時に開業。

血液型・星座・性格

どういうわけか親族のほとんどがB型。わが家もみんなB型。ただし時々A型ですか?と間違われたりしますが基本的にはB型人間です。星座は山羊座で普賢菩薩。

夫婦ともども三度の飯より人の世話が好きというタイプ。

流行は追わないし、世相にも流されない。何人にも一貫して是は是、非は非という姿勢は崩さず、真っ先に偏った考え方を疑います。

12支は無視!毎年が虎年というありがたい寺院

とにかくまちがったことをそのまま済ませることができない性格で、そういう意味では短期なほうだと思います。特に性根の腐ったような相手には損得考えずに向かっていくところがあり、ときどき自省をします。

趣味・好きな言葉

趣味は山歩き。晴れた日はできるだけ野山に出かけては有酸素呼吸運動によって日頃のストレスを発散、森林浴を楽しみながら創作の構想や創作のネタを拾い歩いています。信貴山から生駒山、金剛山に六甲山がホームグラウンドです。

雨の日は近くの市立図書館か自宅で静かに読書三昧。

好きなスポーツはラグビー、野球。母校同志社ラグビーの熱烈なるファン(不安)で、阪神タイガース共々、毎年ハラハラドキドキ半信半擬しております

好きな言葉は、新島襄先生の遺文、

「真理は寒梅に似たり 敢えて風雪を侵して開く」

竹馬の友には漫画家で「F」などを書いた六田登がいます。

創作のほかに、30年以上に及ぶパソコン歴、30年近くに及ぶ法人会計記帳の実務経験があります。

また歴史にもことのほか興味があり、弓削道鏡が同郷の生まれだったことや、長男を亡くしたことから「救い」としての宗教にはとても興味関心があり、時間があれば、古代史や中世史、宗教史、郷土史の研究をしています。

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